Vẻ đẹp của một vật không dành cho ánh nhìn
Theo dõi lập luận trừu tượng, phân biệt điều tác giả thừa nhận với kết luận tác giả bảo vệ.
Bài đọc
読んでみよう祖母の家から古い木の机を引き取ったのは、去年の春のことだ。引き出しの滑りが悪くなっていたので、直そうと思って一段ずつ抜き出してみた。そのとき、思わず手が止まった。ふだんは机の奥に隠れていて見えない引き出しの裏側が、表の板と同じように平らに削られ、角の継ぎ目もすきまなく合わせてあったのである。引き出しをすっかり抜かなければ、誰の目にも触れない場所だ。
こうした手間については、よく聞く評価が二つある。一つは、見えないところに手間をかけるのは無駄だという見方である。使う人にとって意味があるのは、手に触れ、目に入る部分だけだ。その分の手間を省いて値段を下げたほうが、買う人のためになるというわけだ。もう一つは、それとは反対に、見えないところにこそ手をかけるのが本物の職人だとたたえる見方である。こちらは美談として語られることが多いが、その話にはたいてい、何十年もたってから誰かがそれを見つけて感動したという結末がついている。
二つの見方は正反対のように見えるが、実は同じ前提に立っている。手間の値打ちを、誰かに見られるかどうかで決めているという点である。前者は見られないから無駄だと言い、後者はいつか見られるからこそ尊いと言う。どちらの見方でも、見えない部分の手間は、見る人が現れて初めて意味を持つことになる。
だが私には、あの机を作った人が、何十年も後に誰かが引き出しを抜くことを期待していたとは思えない。おそらくその人にとっては、裏を削っていない引き出しは、まだ仕上がっていないものだったのだろう。誰に見せるためでもなく、そうしなければ仕事を終えたことにならないから、そうしたのである。だとすれば、その美しさは、私が見つけたときに生まれたものではない。それは、作り手が自分の仕事とどう向き合ったかという、その関係の中に初めからあったのだ。
もちろん、人に見せるための美しさを軽んじるつもりはない。表の木目を生かした仕上げは使う人の目を楽しませるものであり、それにも大きな価値がある。また、見つけられることで、隠れていた手間が人に伝わり、受け継がれていくこともあるだろう。しかし、美しさが人に見せたときにしか存在しないのだとすれば、手間はすべて見せるための演技になってしまう。世の中には、壁の下地や服の縫い目の裏のように、誰にも見られないまま役目を果たしている仕事がいくらでもある。それらが見つけられないかぎり無価値だとは、私には考えられない。
修理を終えて引き出しを戻すと、あの裏側はまた見えなくなった。だが、それで何かが失われたとは思わない。丁寧な仕事の美しさは、見る人がいなくても、そこにあり続けているのである。
Bản dịch tiếng Việt
Từ cần nhớ
Câu hỏi
Đang ôn những câu chưa đúng. Kết quả lượt ôn được lưu riêng với lượt làm cả bài.
Ôn câu sai trong Cần ôn tập →Đăng nhập để lưu câu sai vào Cần ôn tập →
